坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 7月 06, 2009

教会において必要なこと

使徒行伝15:12ー29
エルサレム会議は、パウロとバルナバの宣教報告を聞くことになります。ここで思うのは、神様の深い配慮です。もしも、エルサレム教会の指導者であり、使徒であるペテロが異邦人伝道を体験せずに、神様の御心を宣言することがなかったら、ここでの宣教はなかったのです。そして、ヤコブが「神に立ち返る異邦人を悩ませてはいけません」と「偶像に備えたもの、血、絞め殺したもの、不品行」をさけるようにとパウロ、バルナバ、そしてユダとシラスを遣わすことになります。私は、そのような神様の御心を宣言しているのでしょうか。また、和解の使者として「人を悩まさずに愛と自主的なすすめ」をしているのでしょうか。神様の深い御心を、配慮を今日は黙想していきたいと思います。