坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 7月 07, 2009

律法の外見でなくて、意味を伝えよ

使徒行伝15;12-29
エルサレム教会の会議の結果、バルナバとパウロ、そしてユダとシラスは異邦人の教会にこのように伝えます。「偶像にささげた肉、血と、絞め殺したもの、不品行を避けること、これらを注意深く避けていれば~」と言います。それは、偶像礼拝を避けること、唯一の救い主なるイエス・キリストを賛美すること、そして血(旧約聖書はこれを厳しく避けます)、絞め殺したもの、不品行を避けるように言います。それは、律法のエキス、意味を要約したものです。律法を宗教を心無くするのでなくて、その意味を持って罪の生活から離れること、まことの自由を意味します。私のクリスチャン生活は外見だけで、とりあえずこれだけ祈っていれば、QTしていれば、という心のない生活をしていないか?そこには、律法によるクリスチャン生活であり、まことの自由なクリスチャン生活はありません。律法の外見だけを追及する宗教生活には、意味はありません。しかし、律法は神様へ導く、主イエスに導くガイドラインです。主イエスにある自由へ向かう教師です。律法の意味である主イエスに向かい生きます。