坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 4月 25, 2009

獄中でも生きた交わりを伝えよ

ピレモン1:1-7
キリスト · イエス の 囚人である パウロ , および兄弟テモテ から, 私たちの 愛する 同勞者 ピレモン へ. また,姉妹アピヤ ,私たちの戰友アルキポ , ならびにあなたの 家にある 敎會へ. 私たちの 父なる 神と 主 イエス · キリスト から, 惠みと 平安があなたがたの 上にありますように. 私は, 祈りのうちにあなたのことを 覺え, いつも 私の 神に 感謝しています. それは,主イエスに對してあなたが 抱いている
信仰と, すべての 聖徒に 對するあなたの 愛とについて 聞いているからです. 私たちの 間で キリスト のためになされているすべての 良い 行ないをよく知ることによって,あなたの 信仰の 交わりが 生きて働くものとなりますように. 私はあなたの 愛から多くの喜びと慰めとを 受けました. それは,聖徒たちの心が,兄弟よ,あなたによって力づけられたからです.
使徒パウロは監獄の中にあっても、喜びを伝えようとしました。その信仰の実力がありました。何故でしょうか?神様への信仰を持つと必ず、聖徒への愛へと動くからです。使徒パウロはクリスチャンのアイデンティを紹介します。それは、「キリストの囚人」と紹介します。愛によって結び合わされている囚人なのです。お金でもなく、権力でもなく、利益でもなく、与える愛なのです。この世の中の関係で探すのが難しいものです。しかし、似ているものがあります。何でしょうか?家族です。家族は、夫と妻は、父と息子、母と娘は愛によって結び合わされているものです。神様が結婚の制度を与えられたのです。教会は、神様への信仰そして、兄弟姉妹への愛が生きてはたらい場所にならないといけないのです。これは、自然になるものでなくて信仰にある成長そして、キリストのために生きた交わりがあってこそ、なされていくものです。使徒パウロは、その信仰、キリストのためによい行いを知ることによって、生きた行いになるように自分は監獄にいながらメッセージを伝えているのです。普通人は自分に余裕があるときに行動したり、愛を送ることが出来ます。しかし、神様との関係が愛によってキリストの囚人である人はそれができます。使徒パウロは世の中のお金や名声や異性の奴隷でありませんでした。私はどうでしょうか。世の中の奴隷になっているのでしょうか?それとも、キリストの囚人であるのででしょうか?クリスチャンの信仰も、教会は自然に成長するものでありません。それは、素晴らしいGOOD NEWSが伝えられないいけません。今日、キリストの囚人として素晴らしい霧巣のための行いを伝え、生きた交わりをしていきます。