聖霊に満たされた人生
そのとき、エルサレムにシメオンという人がいた。この人は正しい、敬虔な人で、イスラエルの慰められることを待ち望んでいた。聖霊が彼の上にとどまっておられた。(ルカの福音書2:25) 聖霊に導かれる人生ということで、友人と最近語ったことがありました。聖霊の導きを受けずに、それをすごく非常に非現実的なものとしてしまう、危険性があること。逆に、あまりに霊的な分野にしてしまう、危険性もある。しかし、今日の聖書箇所は「彼の行動が」神様の声を聞き、神様の例に感じて行動して、その結果はイエス・キリストに出会うことでした。聖霊様の働きや、声を聞くことのクライマックスや集中点がイエス・キリストにないのならば、自分にあるのならばむなしい事になります。シメオンはイエスに出会って「安らかに去ることができる」と告白します。もしも、聖霊の声を聞くことが自分の満足や中心であるならば、この言葉は出てこないことでしょう。イエスに出会ったと証したり、自慢したといけませんから。聖霊に満たされた人生は、自分中心や自己を満たすものでなく、イエス・キリスト中心の人生であり、そこで死んでも賛美と感謝があふれます。本当にこれを黙想したときに、自分はなんと自己中心なのか、がっかりさせられました。なんと自分は自由がないのだろうか。イエスによって自分の思いを明らかにされれたことを感謝し、悔い改め、イエス中心の人生と日々回復されていきます。
0 Comments:
コメントを投稿
<< Home