坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 9月 08, 2010

神様の正義を語れる人生を生きているか?

エレミヤ51;1-10
わたしは、バビロンへの裁きの時に、神様の裁きを語れる人生を生きているのでしょうか?罪への裁きがなされるときに、神様の前に悪への誘惑へ、妥協への誘惑に負けること無くて、神様の正義を語れる、伝える人生を生きているのでしょうか?間違ったバビロンへのとりなしや、泣き喚くまでのとりなしをしているのでしょうか?自分の敵のために、神様に祈る、とりなしをする姿勢がなければ、神様の正義を、神様の裁きがなされた日に伝えれる資格はありません。それは、預言者としての行き方であり、万人祭司としての生きかたなのです。それこそが、この罪の中に生きていても、バビロンに捕囚として生きていても、失わなかった神様の民としてのアイデンティなのです。主イエスの祭司としてとてもじゃないけど、そのような生き方を出来ているとはいえませんが、神様の力によって、聖霊により、神様の命令を持って、自分らしく生きれる神様の民として生きていきます。

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