坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 6月 14, 2010

感謝と喜びが溢れる

エレミヤ30;12-24
その日、主の回復は「わたしたちの努力」でなく、人の助けでもなく、「神様のあわれみ」から始まります。傷は癒されにくく、打ち傷は痛んでいることを、恋人が忘れるような(愛する人が忘れ、愛される人からも忘れられること)が癒されるのです。何故なら、主イエスがわたしたちを忘れ、捨てることは無いからです。神様の愛がわたしたちを回復するときに、生かされているだけでも、喜びなのに、感謝なのに、という究極的な回復が来ます。そして、自分の尊厳が神様の愛に生きるときに、真理に歩むときに回復されます。その日の回復とは、主イエスが十字架によってわたしの罪を負われたことを通して、神様と私が近づくことから始まります。神様のあわれみからがスタートなのです。究極の回復とは、神様の礼拝の回復です。神様に近づくために、いのちを掛けているのでしょうか?神様の民となっているのでしょうか?私は神様に近づくために、神様を愛し、人を愛し、教会を愛して、ゆるしているのでしょうか?神様の喜びと感謝が溢れる人を期待して、教会の奉仕を計画を持ってしていきます。

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