坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 6月 09, 2010

エレミヤ28;1-11
人のこうあったらいいな、とか、こうなったらいい、というほんわかした願いとは、神様のみ心は違います。神様の予言は人のこうあったらいいなと言う願いと違います。それは、全能の神様との思いを計画を取り違えるものです。エレミヤと偽預言者であるハナヌヤがいます。神様の前で、神様を礼拝する場所で、嘘を、人間の勝手な願いを言う人がいます。もちろん、人間的にはエレミヤも願うイスラエルのバビロンからの解放です。バビロンの支配によって、捕囚にされたくないのは、人間として当たり前のことでないでしょうか?神様の預言は基本的に、裁きであり、悔い改めの勧めであります。それは、決して人間的に聞きたくない、あってほしくない話であります。そのようにならない話を信じ、また願いたいことです。しかし、神様の真実を伝えること、それを宣言することを覚えるときに、偽預言者への違うことも伝えないといけないのです。もちろん、自分がでなくて、神様ご自身が真実を明らかにされます。真実をあきらかにされる主に祈り、主の真実を信じ、伝えます。

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