坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 5月 21, 2010

苦難の中で主イエスに歌うと消せない火が下る

エレミヤ20;7-18
主のみ言葉を伝えることで、拒否されることが数々あります、迫害されることがあります。主のみ言葉を伝えることで、不利益をこうむることがあります。ノンクリスチャンだけでなくて、時に同じ立場のはずのクリスチャンからもこういう厳しい痛みを傷を受けることがあります。そういう中で、もう黙っていようと言うことがあります。神様に不平や不満を言うことがあります。エレミヤもわたしたち以上に厳しいことを受け、傷つけられえ、しかも彼の伝えた実言葉は神様の民であるはずのイスラエルに悔い改めのメッセージを伝えたのです。それが、歓迎どころから命の危険までさらされ、絶望に陥ったのです。しかし、エレミヤの違うところは、わたしたちの学ぶべき教訓は、神様に「私の人生は絶望のうちに終わるのか?」と神様に打ち明けたところです。神様に全ての心の状態を、感情をそのままに話したところです。主に向かって歌い、賛美したのです。絶望の中で神様に自分の人格を気にもせず、打ち明ける人には、神様のみ言葉が来ます。それは、いろんな絶望を除去し、神様のみに頼る、神様への熱い賛美を起こさせ、神様のみ言葉が黙っていられないくらいに熱くします。わたしの胸を熱くさせる神様なの愛で、賛美します。苦難の中で、心傷ついた中で、神様の癒しを受けます。悔い改めます。主イエスの愛をほめたたえます。

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