坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 3月 16, 2010

名誉でも、出世でもなく人生を完成させるのは愛だ!

ヨハネの福音書19;25-30
主イエスの最後を、十字架を最後までついて言った人の中で、特筆すべき人は
①兵士たち、そして反対派のローマの人たち、
②ユダヤ人たち、宗教学者
③今日の主人公である女性たち
④主イエスの愛された弟子がいます
もちろん、他の人たちもいたことでしょう。しかし、最後までついていった人たちの中で、女性たちの信仰は特筆すべきものがあります。彼女たちは、最後までついていきました、男性達の信仰と違うものがあります。特に、主イエスの母であるマリヤ、そして罪を許されたマクダラのマリヤがいました。彼女たちの信仰と心、何よりも愛は自分たちの立場や、自分たちへの宗教学者の避難を受けても、いいという愛がありました。主イエスはそんな母に、愛された弟子に「あなたの息子がいます」といい、母を託されました。そして、主イエスの愛された弟子は母を引き取りました。愛された弟子とは、ヨハネの福音書を書いてヨハネであります。彼の人生は、福音書に書いている彼の行いは、自分が偉いとか?他の弟子たちを出し抜いて天国の右の座に着かせてくださいと、親に言わせるなど、さんざんな行いでした。彼の関心や価値観は自分の名誉と出世にありました。逆に男の人らしいかもしれません。そして、彼は雷の子でもありました。そんな彼が福音書を書いた晩年には、主イエスに愛された弟子と自分のことを名前で、固有名詞で書かなかったのです。彼の価値観の変化は何でしょうか?それは、名誉や出世が彼の人生を決めるのでもなくて、主イエスが十字架上で「完了した」といわれた人生、それはヨハネ、自分自身が、いや北野実自身がかかる十字架を「愛でかかってくださった」ということが、彼の人生を変えたからでないでしょうか?出世でも、人に見られることでもなく、認められることでもなくて、愛が人生を完成させることを信じます。十字架の愛の人生を歩みます。

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