坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

金曜日, 3月 12, 2010

イエスの一貫した態度とペテロの揺れる言葉と心

ヨハネの福音書18;15-27
ペテロはイエスのために、死んでも言いと宣言し、またイエスが捕らえられそうになった時には、役人に打ってかかるような攻撃をしました。人間的には強い行動に見えます。また、大祭司の知り合いを持っていたヨハネとともに、イエスの裁判をされる庭に入って言います。その内容が、言葉も聞こえる距離であったのにもかかわらず、ペテロは三度もイエスを否定することになります。実は、ペテロのが一見は強そうにめる態度が、心のそこでは不安であり、常にゆれうごいていることからわかります。不安になる人は、怒りがあります。怒りから相手を攻撃し、傷つけます。必要の無い傷をつけます。しかし、主イエスは相手に殴られるという暴力や攻撃を受けながらも、決して人のプレッシャーに動かされて物を言うことは無く、ご自分が神様であることを宣言しました。しかし、ペテロは闇の勢力に、人のプレッシャーに揺り動かされ続けていました。最初の否定の時に、ペテロは小さい否定のつもりであったかもしれません。しかし、それは次のうそを必要としました。自分の影響力でなくて、クリスチャンとしての影響力を相手に与える範囲でなくて、実は相手に、この世の影響力に侵入される行動をしていたのです。ペテロはいっそ、この場所を離れるのか?イエス・キリストを最初に宣言してしまればよかったのです。それほどまでに、人のプレッシャー、目に見えるプレッシャーは大きいものです。この世の現実に自分が生き残っていこう、自分の立場をとろう、それは大きいものです。私自身がそのような弱さにかかっているものです。ペテロのことをどうのこうの言える立場ではありません。今日、主イエスを宣言し、神様の全面的な助けを求めていきます。自分が誰か?知って宣言されたイエスのように、自分を知る人生を歩みます。

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