坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 4月 28, 2009

神様の目から私の人生の計画を見よ


詩篇73:15-28
もしも 私が, 「このままを 述べよう. 」と言ったなら,確かに私は,あなたの子らの世代の 者を 裏切ったことだろう. 私は,これを知ろうと思い巡らしたが, それは,私の目には,苦役であった. 私は,神の
聖所にはいり,ついに,彼らの最後を悟った. まことに, あなたは 彼らをすべりやすい所に置き,彼らを滅びに突き 落とされます. まことに, 彼らは, またたくまに 滅ぼされ, 突然の恐怖で滅ぼし盡くされましょう. 目ざめの夢のように, 主よ, あなたは,奮い立つとき,彼らの姿をさげすまれましょう.私の心が苦しみ, 私の 內なる思いが突き刺されたとき,私は、愚かで,わきまえもなく、あなたの前で獣のようでした.しかし私は絶えずあなたとともにいました.あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました.
真面目なクリスチャンの悩みの話を昨日は黙想しました。確かに、私たちには、悪人の最後を今すぐ見ることが無いかもしれません。自分にとって難しい、苦しい状況にて、理解しがたい状況において、またどこにいったら良いのか分からないとき、何を求めるべきでしょうか?今日の詩篇はこう言います。神様の近くにいることが幸福である、神様の聖所にいるのが最高であると。具体的に何か言うのでなくて、まずは神様と共にいなさい、神様の心を知りなさい、と言われます。神様と共にいる人に、神様を苦しみの中で礼拝する人に、神様の心を知る人に、神様は使命を任せられます。神様の夢を共に見て、共に働こう、と言われます。
1:神様の視点で私の人生を状況を見る必要があります。神様は悪人を決して良くは見ておられません。その神様の視点を診るときに、信じるときに神様の裁きのとき方法に任せます。
2:しかし、それすらも私の人間の力では出来ません、忍耐が難しく、わきまえの無い獣のようです。そんな私を神様は右の手で捕らえてくださいます。それを信じているでしょうか。
3:天でも地でも主なる神様だけを待ち望んでいるでしょうか。それとも、人間的に誰かを待っているのでしょうか。
4:主なる神様ご自身が、永遠に残るものだけを祝福、遺産として下さるのにそれ以外のものを期待していないでしょうか。
5:神様の永遠の視点で私の人生の計画、タイムスケジュールを見るべきでないでしょうか。
6:神様が近くにいる人生は、人から離れた非現実的な人生ではありません。人の真ん中に神様は折られるのです。
7;悪人の最後を知るよりも大事なことは、そんなことよりももっと大事なことは、神様と共にいること、そして神様のなされるみわざ、裁きのことを信じ委ねることです。
神様は私と絶えず共にいてくださる方です。共にいて楽しい人生を送っているのでしょうか?自分は共にいる神様に喜んでいただく人生を、この忍耐の時にも持っているでしょうか。神様に相談しているでしょうか?神様の解決を、勝利を期待しているのでしょうか。神様の近くにいる人生を歩みます。