坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 4月 05, 2009

神様の国の支配は犠牲の死である

ヨハネの福音書18:28-40
この世の国の支配は、力と権威と利益です。しかし、神様の国の支配は愛と犠牲です。十字架です。相手のために損することです。死ぬことなのです。死ぬべき理由の無い人のために死ぬことです。イエスを一番理解すべきであるユダヤ人と律法学者、祭司長たちは律法を知っていましたが、神様を知っていること、神様と関係を持っていることがありませんでした。ですから、神様の国の広がりでなくて、自分を守る、自分の立場を守るCLOSE MINDでしかありませんでした。神様の国はOPEN MINDです、受容的です。そして、疑いません。何故なら、相手のために死ぬことが出来るからです。神様の国は広がり続けます。しかし、自分の王国は守り続けます。神様の国は多くの人々を受け入れ、そして送り出します。私にとって、チャレンジがあるのが新しい神様の働きに自分の経験したことの無い働き、人々の出会いがあります。自分が若いと言えなくなりました。こういう新しい人たちを受け入れる、喜ぶことが出来、共に仕えることが出来るように、私が死んで、神様の支配が国が私の中に、信仰に広がるようにしてください。