坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

月曜日, 3月 23, 2009

私を助ける神を見よ!

イザヤ50;1-11
主はこう仰せられる.「あなたがたの母親の離婚狀は,どこにあるか.わたしが彼女を 追い 出したというのなら.あるいは, その債權者はだれなのか. わたしがあなたがたを賣ったというのなら.見よ.あなたがたは,自分の咎のために賣られ,あなたがたのそむきの罪のために,あなたがたの母親は追い出されたのだ. なぜ,わたしが來たとき, だれもおらず, わたしが 呼んだのに,だれも答えなかったのか.わたしの手が短くて ·うことができないのか.わたしには救い出す力がないと言うのか. 見よ わたしは,しかって海を干上がらせ, 多くの川を荒野とする.その魚は水がなくて 臭くなり,渴きのために死に絶える.わたしは天をやみでおおい, 荒布をそのおおいとする. 」 神である主は,私に弟子の舌を與え, 疲れた 者をことばで 勵ますことを 敎え, 朝ごとに,私を呼びさまし,私の耳を開かせて,私が弟子のように 聞くようにされる.
神である 主は, 私の耳を開かれた.私は逆らわず,うしろに
退きもせず,打つ者に私の背中をまかせ,ひげを拔く者に私の頰をまかせ,侮辱されても,つばきをかけられても,私の顔を隱さなかった. しかし,神である主は, 私を助ける.それゆえ,私は,侮辱されなかった. それゆえ,私は顔を火打のようにし,恥を見てはならないと知った. 私を義とする方が近くにおられる. だれが私と爭うのか. さあ,さばきの座に共に立とう.どんな者が,私を訴えるのか.私のところに出て來い. 見よ.神である主が, 私を助ける.だれが私を罪に定めるのか.見よ.彼らはみな,衣のように古び,しみが彼らを食い盡くす. あなたがたのうち,だれが主を恐れ, そのしもべの聲に聞き從うのか.暗やみの中を步き,光を持たない者は,主の御名に信賴し, 自分の神に據り賴め. 見よ.あなたがたはみな, 火をともし,燃えさしを身に帶びている. あなたがたは 自分たちの 火のあかりを持ち,火をつけた燃えさしを持って步くがよい. このことはわたしの 手によってあなたがたに起こり,あなたがたは,苦しみのうちに伏し倒れる.
今日はGOOD NEWS STATIONというところの日本語礼拝に招いていただいて、救いの証をさせていただく日でした。その証をしに行く前のBUSの中でQTをしていました。神様は確かに神様のメッセージを下さいました。それは二回繰り返される「見よ」というメッセージでした。何を見るのでしょうか?私を助ける主なる神を見よ、でした。私の話や私の証を、歴史をみよでなくて、私の中にみわざをされた主イエスのみ業をみよでした。偉大な主イエスのみ業をみよでした。私の話でないのです。わたしがどんな苦しくても、私の神は助けてくださるのです。また、御言葉に従って苦しみに会うときもあります。しかし、どのような敵も私を裁くことが出来ない、とあります。裁きの座に行くならば、私の勝利です。神様の公平な裁きと、私を義とされることが待っています。また、主なる神は私に弟子の舌を与えとあります。そして、言葉で励ますようにされるとあるのです。今日の救いの証は私の父の死を通して、私が罪をはじめて知り、イエスの無限のゆるしを体験した証でした。私の舌が、神様にある励ましと祝福をもたらすことを信じ、祈ります。