坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

水曜日, 3月 18, 2009

自分が最高だと思ってはいけない

イザヤ47:8-15
だから今, これを聞け. 樂しみにふけり, 安心して 住んでいる 女. 心の 中で, 『私だけは特別だ. 私はやもめにはならないし, 子を 失うことも 知らなくて 濟もう. 』と言う者よ.子を失うことと, やもめになること,この二つが一日のうちに,またたくまにあなたに 來る. あなたがどんなに 多く呪術を行なっても、どんなに强く呪文を唱えても,これらは突然,あなたを見舞う.
あなたは 自分の惡に據り賴み, 『私を 見る 者はない.』と言う. あなたの知惠と知識, これがあなたを迷わせた. だから, あなたは心の中で言う.『私だけは特別だ.』 しかしわざわいがあなたを見舞う.それを拂いのけるまじないをあなたは知らない. 災難があなたを 襲うが, あなたはそれを 避けることはできない. 破滅はあなたの知らないうちに, 突然あなたにやって 來る.
さあ, 若い時からの使い古しの呪文や,多くの呪術を使って,立ち上がれ.あるいは役立つかもしれない. おびえさせることができるかもしれない.
あなたに助言する者が多すぎて,あなたは疲れている. さあ,天を觀測する者,星を見る者, 新月ごとにあなたに 起こる 事を 知らせる 者を ¿べたてて, あなたを救わせてみよ.
見よ.彼らは刈り株のようになり,火が彼らを燒き盡くす.彼らは自分のいのちを 炎の 手から 救い出すこともできない. これは身を暖める炭火でもなく,その前にすわれる火でもない.
あなたが若い時から仕え,行き來してきた者たちは,このようになる.彼らはおのおの 自分かってに 迷い 出て, あなたを 救う 者はひとりもいない. 」
私にとって今朝のみ言葉は厳しいむちのようなものでした。同時に、そのように目覚めさせてくださる方に、聖霊様に感謝と賛美をささげます。私にとって、QTをするのが簡単なように感じ、毎日のようにブログをかけると勘違いしていました、主よ赦してください。もちろん、毎日のようにブログはかけることが出来るのは当たり前です。何故なら、私たちに毎日神様は語ってくださるからです。しかし、それが自分のものとなり、自分が特別であり、自分の呪文や偶像になるのなら、それがたとえ知識や知恵であっても、それは神様より頼るならば、偶像なのです。私にとって偶像はQTが出来るとか(全ての人が出来るのに)、知識や知恵が自分の者になり、自分は特別でないと気がすまない情けない、状況に陥っていました。今朝、ちょっとしたことでなかなか上手くいかなことがありました。神様の声を聞いているのに、こんなに悩むことは神様の声に従う喜び、そして神様の権威を認めていないからであること、自分が特別であると錯覚していることに気がつきました。あなたに助言する者が多すぎてあなたは疲れている、とあります。聞くべき主の御声を聞いていないからそうなるのです。聞くべき主の御声を通して優先順位の他の方、または聞いてはいけない声を聞き分け、歩めるようにしてください。主よ赦してください。あなたの御旨に従います。