坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

土曜日, 3月 21, 2009

御言葉の約束の地を与えるのも恵みである

イザヤ49;1-13
島々よ.私に聞け.遠い国々の民よ. 耳を傾けよ. 主は, 生まれる 前から私を召し,母の胎內にいる 時から 私の名を呼ばれた.主は私の口を銳い劍のようにし, 御手の 陰に 私を 隱し, 私をとぎすました矢として,矢筒の中に私を隱した. そして,私に仰せられた. 「あなたはわたしのしもべ,イスラエル .わたしはあなたのうちに, わたしの 榮光を 現わす. 」 しかし,私は言った.「私はむだな骨折りをして, いたずらに,むなしく, 私の力を使い果たした.それでも, 私の正しい訴えは,主とともにあり,私の報酬は,私の神とともにある.」 今, 主は 仰せられる. ··主は ヤコブ をご 自分のもとに 歸らせ, イスラエル をご 自分のもとに集めるために, 私が 母の 胎內にいる 時, 私をご 自分のしもべとして造られた.私は主に尊ばれ, 私の 神は 私の 力となられた. ·· 主は仰せられる. 「ただ, あなたがわたしのしもべとなって, ヤコブ の 諸部族を 立たせ, イスラエル のとどめられている 者たちを 歸らせるだけではない. わたしはあなたを 諸國の民の光とし, 地の果てにまでわたしの 救いをもたらす 者とする. 」
イスラエル を ·う,その聖なる方,主は,人にさげすまれている 者, 民に 忌みきらわれている 者, 支配者たちの 奴隷に 向かってこう仰せられる. 「王たちは 見て 立ち 上がり, 首長たちもひれ 伏す. 主が 眞實であり, イスラエル の 聖なる 方があなたを 選んだからである. 」
主はこう 仰せられる. 「惠みの 時に, わたしはあなたに 答え, 救いの 日にあなたを 助けた. わたしはあなたを 見守り, あなたを 民の 契約とし, 國を 興し, 荒れ 果てたゆずりの 地を 繼がせよう.
わたしは 捕われ 人には『出よ. 』と 言い, やみの 中にいる 者には『姿を 現わせ. 』と 言う. 彼らは道すがら羊を飼い,裸の丘の至る所が,彼らの牧場となる.
彼らは飢えず,渴かず,熱も太陽も彼らを打たない. 彼らをあわれむ 者が 彼らを 導き, 水のわく 所に 連れて 行くからだ.
わたしは,わたしの山¿をすべて道とし,わたしの大路を高くする.
見よ.ある者は遠くから來る.また,ある者は北から西から, また, ある 者は シニム の地から來る. 」 天よ.喜び歌え.地よ.樂しめ.山¿よ. 喜びの 歌聲をあげよ. 主がご 自分の 民を 慰め,その惱める者をあわれまれるからだ.

生まれる前から私を召された方は、私の人生を主イエスの栄光で満たされる方です。それは、人間の力でなく神様の力のみであります。私の経歴や人間でもありません。それは、かみさまのしもべとして選ばれた方は、私を母のおなかにいるときから計画された方です。それは、私にとって苦境のときも絶体絶命のときも、信仰を持って進めれることを願われます。諸国の民として、光として選ばれたのです。今の私の状況は、難しいときもあります。約束のみ言葉のみで現実に具体的に何もないと思えるかもしれません。しかし、約束のみ言葉だけとは何と情けない話でしょうか。約束のみ言葉なら、神様が語られるなら、それは既に始まっている神様の歴史がスタートしているのです。神様の栄光のみ技がなされることを信じ、今日も神様の光として、譲りの地を受け継ぎ、回復の働きをしていきます。きょうも、私を尊ばれる主イエスを賛美します。