坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 3月 10, 2009

何を覚えて、何を忘れるべきか?新しいみわざを見よ

イザヤ43:14-28
あなたがたを ·われた イスラエル の 聖なる 方, 主はこう 仰せられる. 「あなたがたのために, わたしは バビロン に 使いを 送り, 彼らの 橫木をみな 突き 落とし, カルデヤ 人を 喜び 歌っている 船から 突き 落とす. わたしは 主, あなたがたの 聖なる 者, イスラ
海の中に道を,激しく流れる水の中に 通り 道を 設け,
戰車と馬, 强力な 軍勢を 連れ 出した 主はこう 仰せられる. 「彼らはみな 倒れて 起き 上がれず, 燈心のように 消える. 先の事どもを 思い 出すな. 昔の 事どもを 考えるな.
見よ. わたしは新しい事をする. 今, もうそれが 起ころうとしている.あなたがたは,それを知らないのか. 確かに, わたしは荒野に道を,荒地に川を設ける.
野の ¿,ジャッカルや, だちょうもわたしをあがめる. わたしが荒野に水をわき出させ, 荒地に川を流し,わたしの民,わたしの選んだ者に飮ませるからだ.イスラエルの創造者, あなたがたの王である. 」
わたしのために造ったこの 民はわたしの 榮譽を 宣べ 傳えよう.
しかしヤコブよ. あなたはわたしを 呼び 求めなかった. イスラエル よ. あなたはわたしのために勞苦しなかった.
あなたはわたしに, 全燒のいけにえの 羊を 携えて 來ず, いけにえをささげて, わたしをあがめようともしなかった. わたしは 穀物のささげ 物のことで, あなたに 苦勞をさせず, 乳香のことであなたを 煩わせもしなかった.
あなたはわたしのために,金を拂って
菖蒲を買わず,いけにえの脂肪で, わたしを 滿足させなかった.かえって,あなたの 罪で, わたしに 苦勞をさせ,あなたの不義で, わたしを 煩わせただけだ.わたし, このわたしは, わたし自身のためにあなたのそむきの罪をぬぐい去り, もうあなたの罪を思い出さないわたしに思い出させよ.共に論じ合おう.身の潔白を明かすため,あなたのほうから述べたてよ.
あなたの 最初の
先祖は 罪を 犯し, あなたの 代言者たちは, わたしにそむいた.
それで, わたしは
聖所のつかさたちを 汚し, ヤコブ が 聖絶されるようにし, イスラエル が, ののしられるようにした. 」
人は何を覚えているでしょうか。人への傷です。人への犯した罪よりも、自分が犯されたと思う傷、その痛み、その罪です。そして、忘れることは自分が赦されていることです。神様の恵みを忘れるのです。主イエスが十字架で私のために命を下さったことを忘れるのです。命を下さったのに、私たちはお金をささげることを惜しむのです。思い起こすことが、主イエスのみわざであるなら、未来志向的になります。しかし、思い起こすことが自分であったり、挫折の過去に縛れるなら、過去の痛みに閉じ込められます。それは、神様の思いではありません。神様は私の罪を忘れてくださったとあります。神様の思いは、自分の子であるクリスチャンが最高の人生を生きることです。動物でも、神様のことを覚えるとあります。しかし、人は忘れて、過去に縛られるのです。それは、非真理なのです。それこそ、悪魔の願うわなであり、霊的な牢獄に生きる人生、神様のみ技を見させない人生、ひいては神様の御心がならない人生であり、神様の国が広がらないことなのです。神様の下さる最高の、幸福な人生を味わえないことなのです。神様が新しい働きへ、みわざへ召してくださる人生を歩みます。目に見えない信仰のブ検して歩んで生きます。