今日も求められる教会の清さ
使徒行伝5;3-6、
3節「そこで, ペテロ がこう 言った. 「アナニヤ .どうしてあなたはサタンに心を奪われ,聖霊を欺いて,地所の代金の一部を自分のために殘しておいたのか. 4節「それはもともとあなたのものであり, 賣ってからもあなたの 自由になったのではないか. なぜこのようなことをたくらんだのか. あなたは人を欺いたのではなく,神を欺いたのだ.」 5節「アナニヤ はこの 言葉を 聞くと,倒れて息が 絶えた. そして, これを 聞いたすべての 人に, 非常な 恐れが 生じた.」6節「 靑年たちは 立って, 彼を 包み, 運び 出して 葬った. 」 今日の聖書箇所は、今も忘れない金サムエル先生を通しての説教の事が思い出されました。それは、アナニヤの欺きは神様に対してであり、教会の清さを守るためになされたことである、というメッセージでした。そして、ユーモアを持て言われたのが「今の時代こんなことがあったら、みな死んでしまいますね、私も含めてね」と言われたことでした。本当だな、と思いつつ、先生はユーモアをこめて私たちを傷つけずに、ご自身も正直に話されたと思いました。果たして、どうでしょうか?私たちも、現在の教会も「教会を侮ること、あざむくこと」への恐れがあるでしょうか?また、霊的指導者がはっきりと罪を見抜き、指摘し、裁かれるべき罪を言えるのでしょうか?私にとって多くの適用があります。本当に、現在もこんなことが起こったら、私も死んでいると思います。しかし、神様は初代教会にどうしても必要だから、この裁きがあり、私たちへの警告と、愛をもって「心を見られる」方であることを示されています。それは、現在の教会への愛であり、教会も変わらず清さを持つ必要があります。今日、勇気を持って清さを自分から、また教会へ使えていきます。 |
ラベル: 使徒行伝
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