イエスにだけ従う強さ
使徒行伝4;19-20、
18節「そこで 彼らを 呼んで, いっさい イエス の 名によって 語ったり 敎えたりしてはならない,と命じた.」19節「 ペテロとヨハネは彼らに答えて言った. 「神に 聞き従う より, あなたがたに 聞き従うほうが,神の前に正しいかどうか,判断してください.」 20節「私たちは,自分の見たこと,また聞いたことを,話さないわけにはいきません.」 21節「そこで, 彼らはふたりをさらにおどしたうえで, 釈放した.それはみなの 者が, この 出來事のゆえに神をあがめていたので,人々の手前、 ふたりを罰するすべがなかったからである.」 ペテロとヨハネを呼び寄せた宗教指導者、社会指導者たちは「彼がイエスとともにいた」と言うことを知ります。彼らが無学な(しかし、まったくの無学という意味でなくて高学歴で無いとい意味でしょう)人でありながらも、イエスの事を伝える大胆さに驚きます。そして、彼らがイエスの事を伝えないように脅した(脅した!と書いてあります)後も、ペテロとヨハネたちは「神に聞き従う」ことより、あなたがたに聞き従うのが神の前に正しいのか?判断してください、と言います。続いて「自分の見たこと、聞いたこと」を語らないわけに行きません、といいます。そうです、クリスチャンの伝道、奉仕はここから来ます。人間的に何か作るのでなくて、イエスを見た人は、聞いた人は、真実に命を懸けます、逆に、宗教指導者たちはイエスの業を賛美する人々の前に自分たちの主張も行動も出来ませんでした。そこには、人への恐れがあったからです。しかし、イエスを恐れる人には人間への恐れがありません、迷いがありません、ただ、すべきことをします。今朝、イエスだけしか知らない人として集中して歩みます。恐れを持たず伝道していきます。 |
ラベル: 使徒行伝
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