イエスしか知らない時に恐れが無くなる!
使徒行伝4;10-12、10節「皆さんも,またイスラエル のすべての 人¿も, よく 知ってください.この人が直って, あなたがたの前に立っているのは あなたがたが 十字架につけ,神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス · キリストの御名によるのです.」 11節『あなたがた 家を 建てる 者たちに 捨てられた 石が, 礎の 石となった. 』というのはこの 方のことです. 12節「この 方以外には, だれによっても 救いはありません. 世界中でこの 御名のほかには, 私たちが 救われるべき名としては, どのような 名も, 人間に 與えられていないからです. 」ペテロとヨハネが、神様の奇跡をした後に、イスラエルの宗教指導者たちに囲まれるシーンです。ここで驚くべきことは、弟子たちの変貌振りです。以前は、イエスの十字架の事件当時は恐れて隠れていた人が「聖霊に満たされて」(8節)、宗教指導者や社会の指導者の前で堂々とイエスを語ってことです。そして、「あなたがたが十字架にかけた」と語ったことです。自分のことは話しやすいことです、でも、相手の罪を語るのは「本気の愛」がなくてはできないことです。神様の心をなしには語れないことです。何よりも、勇気のいることです。しかも、拘束された次の日の事です。恐れがなかたったのでしょうか?KEY POINTはただ一つ聖霊に満たされること!そして、イエスの十字架と復活以外に救いが無いことです!私たちは、はたして頼るのはイエスの十字架だけでしょうか?イエスのみなだけでしょうか?それとも、他に頼るものがあるのでしょうか?他に頼るものがあるときに、CORNER STONEである
イエスを逃します、本当の力を受けることが出来ません。今日、主イエスだけを頼り、主イエスの栄光のためだけに生きていきます。 |
ラベル: 使徒行伝
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