坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

火曜日, 6月 01, 2010

23年も語る神様の愛

エレミヤ25;1-11
今朝の黙想で一番心に迫ったのは、神様が「23年もエレミヤを通して語られたこと」そして「23年も聞かなかったイスラエルの民、クリスチャンたち」最後に「聞かれないのに語ったエレミヤの従順と厳しい人生」です。はたして、クリスチャンであるイスラエルの民、そしてエルサレムという礼拝する場所さえも、南ユダ王国にとって最高の求心ポイントであった礼拝する場所がエルサレムにあることさえも、除かれて、そのアイデンティを失ってしまう状況があります。23年といえば、赤ちゃんが青年に育つ時間です。大人になる時間です。また、神様は、別に23年間だけ語っておられたのではありません。ずっと永遠の神様が、天地を創造された時間からずっと語ってくださったのです。今日の恵みは、こうです。
①永遠の神様がわたしを忍耐してくださったように、私も忍耐を持って神様の愛を語ります
②23年間も語っておられて、それに従ったように、わたしのエレミヤのように従い、語り続けます
③神様の民として、クリスチャンとしてのアイデンティを持って生きます。
④神様、わたしのこの地をTORRANCEを、IRVINEを、WESTWOODを与えてください。SANTA MONICAを与えてください。神様の礼拝する場所にしてください

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