坂之上(カルバリ)のキリストSakanoueno Christ

日曜日, 6月 18, 2006

神の友として生きているのか?


「彼らは私に向かって、「私の神よ。私たちはイスラエルはあなたを知っている」と叫ぶが、イスラエルは善を拒んだ」(ホセア8:2)「彼らは王を立てた。だが、私によってでない。彼らは首長を立てた。だが、私は知らなかった。」(ホセア8:4)
愛する皆さん、ともに主イエスを賛美します。お元気ですか?私は5月30日に韓国に来て、新しい奉仕をしています。主に金曜日礼拝の説教と、留学生伝道をすることになっています。

ここまで、先週は一週間弟子訓練指導者セミナーがあり、日本から24名の教職者や牧師婦人の参加がありました。私は通訳で奉仕させていだきました。その前の週は、弟子訓練20周年記念フェステイバルがあり、とても恵まれる時間になりました(そのために、新しく引っ越した家で寝たのはまだ5日ほどです、でも、修養会場のほうがごはんがよく食べれますが)。弟子訓練というと強い、何か人を縛るようなイメージの言葉を思い浮かべますが、そうでなくて本当に人を自由にし、キリストに似せられていく幸福な恵みであります。また、一部のケースとして教職者が信徒を操縦し、支配するような、誤ったバイブルカルトのようなことがあるそうですが、そのためにサラン教会の弟子訓練が誤解されるような残念がことがあるそうです。自分の野心でなく、キリストの心を持って立ち上がり、仕えるのがキリストの弟子であり、まことのリーダーシップです。また、時々弟子訓練について書くことがあると思いますが、今日はこれくらいで。

さて、今週からいよいよ留学生伝道の奉仕をできる時間が与えられました。各キャンパスで聖書研究を中心にしたいと思います。愛する皆さん、祈ってください。私と祈りの同志になってください。今朝のQTは、イスラエルの民が「神を知っている」と言いつつも、神の知らない王や酋長を立てた、という箇所でした。神を知っている、と言いながらも善を拒むイスラエルの民、そして子牛や偶像を立てて、それに頼ろうともしているイスラエルの民の信仰。その結果は、実りの無い働きです。それだけでなく、神の裁きが臨みます。そこには、神と私の関係はありません。神が一人子であるイエスをこの地に下して、十字架にかけて許され、私を信じることにより友として下さった恵みはありませんでした。

今日、私に与えられた恵みは、神の友となることでした。それなくして、どうして留学生伝道をできるのか、と思いました。教会の方針だからするのでなく、仕える者が神の声を聞かずに、どうして行けるのか、と思いました。というのも、以前に居た韓国の教会でも、留学生伝道の働きがあったのですが、難しさを覚えることが多々ありました。もちろん、恵みもありました。しかし、ここでもう一度留学生伝道をすることに、心配や恐れを感じずにいれませんでした。しかし、今日の御言葉から、神が計画をもってここに私をいさせていること、私を呼ばれたことを感じました。教会や主任牧師に言われたからするのでなく、神の友として、神にどうしたらいいですか、と相談できる(祈る)人として立ちます。

留学生伝道について、私に与えられたビジョンは、以前の韓国での時代に苦労しながらも、また時に外国で孤独を感じながらも(家族がいるわけでないですから)、神は私を友とされた、という信仰による神との交わりでした。アブラハムは神を信じた、そして神はアブラハムを義とされ、友と呼ばれた。何ということでしょう。神はアブラハムを友とされたように、北野実を友と呼ばれるのです。このことをもって伝えたいと思います。

自分探しに来ている留学生や、人生の目的を探しに、ハングルの勉強に来ている留学生に友なる神を伝えていきます。

LAKEWOOD CHURCHの賛美に I AM FRIEND OF GOD という曲があります。神は私を友と呼ばれるアイデンティの、信仰の告白です。良かったら聞いてみてください。

水曜日, 6月 14, 2006

ご挨拶


ハレルヤ主イエスのみなを賛美します。

愛する皆さんお元気ですか?

いつも、メールでいろいろがんばってらしゃるのを拝見しています。素晴らしいですね。日本での働きがさらに祝福されますように。私は、この6月から再び韓国での教会奉仕することに導かれました。今度は、オンヌリ教会でなく、もともと私の所属している大韓イエス教長老会(合同派)のサラン教会日本語礼拝部で奉仕することになりました(オンヌリ教会は統合派)。ここで、牧師按手を準備し、奉仕と訓練をすることになります。まずサラン教会の弟子訓練を受けながら、日本語礼拝部の金曜日礼拝を担当し、留学生伝道(延世大学、梨花女子大学、ソウル大学、韓国外国語大学)を受け持つことになります。後は、新しい家族の集まり(教会に始めてきた人の担当、いつも5,6人はいます。だいたいが日本人留学生と国際結婚の方)を担当します。この日曜日(6月4日)からはじめて礼拝に出たのですが、新しい家族の集まりで、主イエスを受け入れる方が起こされて本当に感激でした(教会には来たのは3度目だそうですが、個人的に話してたら、横に居た牧師先生に祈りを導きなさい、と言われて、一緒に祈ったら信じる祈りをしてくれました)すごいです。神様は!松山協同教会はもともと一年契約で呼ばれていましたので、延長していたいと思っていたのですが、神様の導きが、「使命の地に戻る主の弟子」ということを示されました。それは、韓国のサラン教会です。サラン教会の弟子訓練が「人を縛る」のでなく、「真理はあなたがたを自由」にします、という幸福に満ちたものであります。それを学び、日本人の人へ届けたい、という思いがかねてからありました。

松山協同教会の役員の方々が引き止めてくださり、つらい思いだったのですが、今は一度、韓国帰ることにしました。大切なものをおくときに、神様は行けというベクトルに、方向に進ませることを感じました。アブラハムが創世記12章「あなたの父母を離れ、私の示す地に行きなさい」というように、そこに従って進む信仰を持って歩むことになりました。松山空港には、25,6人の教会の方々がお送りくださり、賛美と涙を持って送り出してくださいました。忘れません。心に教会員の皆さんの涙と賛美がささっています。私は教会の方々に本当に愛されたな、と思います。

愛する皆さんお世話になりました。

これからもよろしくお願いします。サラン教会の日本語礼拝部の賛美すごくいいですよ。今週、いきなり賛美チームにて奉仕したのですが、楽器チームはセミプロぐらいの水準なのでとてもしやすいです。担当牧師の坂本牧師は以前は、オンヌリ教会の敬拝と賛美にいらっしゃった先輩でもあり、賛美の導き、伝道、リーダーシップ、人の心を知ることに賜物豊かな方です。よかったら、サラン教会、そして日本語礼拝部来てください。すごくいいですよ。

http://japanese.sarang.org/

大韓民国SEOUL市瑞草区瑞草4洞1310-16
SARNG CHURCH 日本語礼拝部
(SEOUL市の番号から)02-3479-7303

月曜日, 6月 05, 2006

新しい出発に際し、待つことの大切さ


「すると、長老たちや民はみな、彼に言った、聞かないで下さい。承諾しないで下さい」(列王記第一20:8)

昨日、ソウルに着きました。少しだけの久しぶりの韓国です。また、韓国での第二章がスタートというところです。現在は、友人の教会で仮住まいをしています。来週の土曜日に引っ越しますが。

さて、少し過ぎたQTですが、与えられた恵みを少しお分かちします。

この日のQTは昨日の内容と違い、リビングライフのテーマのところにあるまさに「無益な口げんか」でした。あっという間に終わりに来てしまい、ええ、今日はこれでおしまい?次のページがあるのかな?と思いましたが、やはりありませんでした(ページをめくりました)。韓国に来て初日のQTがこれですか?と思いましたが、ふとここまで導かれることを思い返しました。

この韓国にあるサラン教会で学んで、奉仕したたいと思って祈りだしたのは昨日、今日のことでありません。道が開かれるなら、という思いで、韓国内で3つの奉仕したい教会を挙げて祈りだしたのは、すでに6年ほど前になります。その時は、その中からオンヌリ教会で奉仕する道が開かれました。ですから、その時は、神様の御心でないんだな、と思いました。そして、オンヌリ教会で奉仕した後に、日本の四国にある松山協同教会で日本人ながら宣教師として奉仕しました。30日の火曜日に松山空港にて愛する教会の方々の賛美と涙に送られて、ソウルに来ました(本当に松山協同教会の方々に感謝します、あの賛美と涙を忘れることはありません)。今も心に深くささっています。本当に辛い思いでした。

今回このサラン教会での奉仕が導かれるのも、少し待ちました。しかし、ここまで導かれました。その時に、車を運転している時に、聞いた説教のテープに「待つことは大切だ」ということがありました。待たずに、すぐに願いやすることが叶うと、すぐに感動や感謝がしぼんでしまう、待って神様のみわざを得なさいということでした。長く待つことは大切だ、という説教でした。くしくも、このサラン教会の元老牧師のオク・ハンフム先生のメッセージでした。

今日、この無意味なように思える口げんか、早く明日の御言葉が見たい、早く神様の特効薬が欲しい、解決策がみたい、と思える中に、ここを生きないと神様のビジョンがならない、忍耐がないといけない、その神様の栄光が来るその日まで、まつことを覚えました。何も、変化が無いような今日、何も解決策がない日も、大切な神様の御旨の中の一日です。そこを、今日をベスト尽くして生きないといけないのです。

だからこそ、この日を迎えることができたのだと思います。今日のQTは「あれはできない、断ることができなかった」とかの否定形ばかりと、何の解決も無いように思える内容も、神様の御旨の中ではすでに勝利が、みわざが始まっているのです。

神様にある信仰を持って(希望)韓国生活の第二章を歩みます。今回の韓国での奉仕の時間がどれほどあるか、わかりませんが、主イエスにある喜びの日々になるように祈り、日本へ行くその日まで期待していきます。

PS:土曜日の早天祈祷会と、その後久しぶりに神学大学院の同期(サラン教会で奉仕している牧師たち)と会って、教職者朝食会(100人の教職者がいます)がありましたが、万感の思いでした。